ランニング フォーム 改善! 骨盤 肩甲骨 姿勢 習慣 など

ランニングフォームの改善に役立つ教本や関連本を紹介、フォームを進化させて走力を上げましょう!

ランナーに役立つ教養本 「ぼくたちは習慣で、できている」 佐々木 典士 その4

 ランニングを習慣にして悟りを得よう!

 3章まで読んできておおよそ「習慣」に関する理解は深まったと思います。最終章の4章は仕上げの章で、習慣を哲学的に考えてみるような内容となっています。

 3章で習慣を身につけるノウハウを読んでみて、より強制的に習慣を身につける方法や場所って何だろうと考えたときに、軍隊が思い浮かびました。
 軍隊に入ったことはありませんが、習慣が「ほとんど考えずにする行動」であれば軍隊などではそれが身につくのは当たり前といえるでしょう。基本的には上官からの命令は絶対なのですから。「殺せ」と命令さらたら実行するしかないように訓練されているので、「殺すべきか、助けるべきか」などの思考のコイントスはないわけです。
 または人間の脳にあるホットシステムとクールシステムを活用するように訓練されているのかもしれません。例えば、ホットシステムでは直接的に相手を憎悪のかたまりに捉える、クールシステムでは相手を人間ではなく単なるモノや射撃訓練の標的と捉えるなどです。
 このへんの「コイントス」「ホットシステム、クールシステム」については1章での意志力の考察で登場しました↓

 

 自分であれこれ考えずに実行させるよう命令する上官を軍隊に入らずに作り出したのが○○ザップといえるでしょう。しかも自分で高い料金まで払って。
 また、軍隊という環境はミニマルな環境だといえるでしょう。基本的には必要最低限のモノしかなく色々なモノによる誘惑が少ない環境だと言えます。そのような環境も必要とする習慣を身につけるに一役買っているのだと思います。
 良い習慣を身につけるには、このモノに振り増されfないミニマリズムの考え方が役に立つと思います。ミニマリズムについては、本書の著者の以下の本に詳しいです。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 ミニマリストにならなくても、その思想を知るだけでもモノへの見方が変わります。そしてその考え方や見方が習慣を身につけるのにも有効に働きます。

  さて、軍隊に入らずとも、習慣を身につけることに有効な考え方や思想が最終章で紹介されています↓

 

「4章 ぼくたちは習慣で、できている。」からの抜粋です。

努力と我慢を分けて考える

 努力という言葉の中に含まれている2つの意味、ぼくはこれを本来の「努力」と、「我慢」に分けて考えたほうがいいのではないかを思っている。
 ぼくはこの2つの違いをこんな風に考えている。

  • 「努力」は支払った代償に見合った報酬がしっかりあること
  • 「我慢」は支払った代償に対して正当な報酬がないこと

 特に日本で強いられがちなのは「我慢」だ。・・・

 自分で選んだ、やりたいことをするのに必要な忍耐が「努力」。自分で選んでおらず、やりたくもないことをさせられるの忍耐が「我慢」。と言うこともできる。習慣が続くのは、それが自分で選んだ行動だからだ。「好きなことなら続く」と言われるのは、たとえそこにどんな苦しみがあっても、自分で納得して選んでいるからだ。

  ランナーは周り(ランナーでない人)から「ストイックだね~」と言われることがあると思います。「ストイック」というのは辞書を引いてみると「禁欲的」とあります。いわゆる上記抜粋でいうところの「我慢している」状態であると思われているようです。
 しかし走ることが習慣となったランナーからすれば決して何かを我慢しているわけでも禁欲的に臨んでいるわけでもありません。走ることによって得られる報酬を感じている、認識しているからです。上記の定義で言えば「我慢」しているのではなく「努力」している部類に入るのでしょう。
 自分の場合を振り返ってみると、その報酬は走り続けることによって変化してきました。最初はダイエットや運動不足解消のためでした。はじめは1キロも走り続けられなかったのでハーフはフルマラソンに参加するなんてもってのほかでした。それが走り続けらるようになりレース完走の達成感が報酬となります。それがタイム(サブフォー)となり、達成後の今はストレス解消や体調管理(走ることによって身体の調子が良くなる)が主な報酬となっています。
 ランニングは、人によって異なるものの必ず報酬があります。はじめはツラいこともありますが、そこを努力することによって得られる報酬があるのです。
  

足し算の才能、掛け算の才能

 では、人によって違いはなく、努力さえ続ければ誰でも天才たちと同じになれるかと言えば、もちろんそうではないとぼくも思う。
 我慢と努力を分けて考えたように、ぼくは「才能」という言葉の中にある本来の「才能」の意味と「センス」のいう意味も分けて使いたいと思う。

 歌人の俵万智さんは「足し算の才能」「掛け算の才能」があると言っている。同じ経験をしたとしても、それを足し算でしか積み重ねていけない人と、掛け算のようにして、すばやく結果に到達できる人がいる。

 この違いをぼくは「センス」と呼びたいと思う。ぼくが考えるセンスと才能の違いはこうだ。

  • センス=習得するスピードのこと
  • 才能=継続した結果、身につけたスキルや能力

  走ることが習慣となってマラソンなどをあるタイムで完走できることは一般的には「足し算の才能」といえるでしょう。なので「ぼくはサブフォーで走る才能がある」といってもいいのかもしれません。しかし、マラソンの才能は継続していないとその才能は失われてしまうでしょう。
 マラソンの才能がある程度身につくと仕事や生活に対する態度が変わってメリハリがつくようになったような気がします。結果的に仕事に対してポジティブに取り組めるようになり、精神的にもタフになります。マラソンの才能の「掛け算的な才能」ともいえます。
  

思考の習慣

 何度も何度も選んできた価値観は、いずれ習慣となる。ほとんど意識せず、選べるようになる。
・・・

 選択肢を意識で悩むのではなく、習慣によって即決する。人には、すべての選択肢を詳細に検討して、どれがベストなのかを選ぶ能力がない。しかし自分が信じている価値観で選んだ選択肢なら、結果がどうであれ受け入れることができる。
 人にできるのは、あとから見た時に、選んだ選択肢をベストだと「思いこむ」ことだけだ。だから、それを知っている人はとにかく判断のスピードをあげるのだ。

  瞬時の判断や反応も価値観による習慣からできているのですね。例えば前にいた人が何かを落とした瞬間に拾ってあげて声をかける、同僚などが重たい荷物などを運んでいたらすぐに手伝うなど、些細なことかもしれないけどそういうことも習慣で自然と身体が動いてしまっているのでしょう。あれこれ考えて何が自分にとって得なのかなど考えていたらそういう反応はできませんよね。

 

 

習慣は、今この瞬間に作られている

 ウィリアム・ジェームズは習慣「水路を穿つ(うがつ)水」に例えた。何もないところに水を流しても、最初は通りやすい道がないので、流れは拡散するだけで、うまく流れない。
 しかし何度も何度も水が流れるうちに道ができ、それは深く広くなっていく。その水の流れは、神経回路をそっくりだ。刺激を受けてニューロンに電気信号が流れ、流れるたびに結びつきは強まっていく。

 「人は、その人が1日中考えている通りの人間になる」という言葉があるが、その通りだと思う。人が1日に考える7万もの考えのそれぞれが、自分の中で反響され、少しずつ少しずつ影響を与えていく。何度も何度も考えたことがその人の人格を作っていく。

  「水路を穿つ水」ってはじめて聞きましたが、習慣を例える良い言葉ですね。でも「穿つ(うがつ)」って自分は普段使わない言葉です。調べてみると主に①穴を掘る、突きぬく、②本質を捉える、という意味があるそうです。上記ではもちろん①の意味で使われています。
 話はそれますが、②の意味では「穿った見方をする」という使い方があります。この場合、言い換えると「物事の本質を捉えた見方をする」というポジティブな意味合いとなりますが、語感が「疑う」に似ているためか「曲がった」ような否定的な意味合いで使われていることが多いようです。「穿つ」って「ことば検定」やクイズに出てくるような誤用の多い言葉なんですね。
 また、習慣=水路と考えていたら「水は低きに流れ、人は易きに流れる」とう言葉を連想してしましました。易きに流されないために水路を作る必要があるのですね!

 

苦しみという相棒

・・・

 ぼくは苦しみをできるだけ減らすことが、良いことなのかと思っていたが、どうやら違うようだ。僧侶の永井宗直さんは、仏道の修行についてこんなことを言っている。掃除も修行のひとつだが「ここはきれいだから掃除しなくてもいいだろう」などという判断を、徹底的に排除することを学ばされるという。
 「”あれせぇ、これせぇ”、”はい、はい”と、考える隙がないほどやらされるうちに、その場その場で、やるべきことに集中できるようになります。すると、損が得か、苦か楽か、と、自分勝手に判断することが少なくなる。そのように損得、苦楽の差がなくなることを、『さとる』というのです」

・・・

 苦しみは敵ではなかった。それはともに闘う相棒なのだ。

  すごいですね、「習慣」の話が「悟り」まで来てしまうとは! ここでも言葉の意味から考えてみると、「さとる」の意味は①はっきりと理解する、②心の迷いを去って心理を会得する、とあります。上記の「さとる」はもちろん②の意味ですよね。②の「心の迷いを去って」という部分が習慣と結びつくところでしょう。
 習慣とは、小さな悟りを開いていくことなのだと思うとますますポジティブになれます!

 

走りながら考え、考えながら走る

・・・

苦しみ「これからちょっとキツくなるらしいぞ。やめとくか?」
ぼく「おいおい、誰にものを言ってるんだ?」

 さあ、靴紐を結んだら、とにかく走り出してみようじゃないか。

  「苦しみ」と対話するにはまず行動するしかないということを知ることが大事です。何もしなければ肉体的な苦しみはないわけですから。
 自分の場合は、毎日会社では階段を使って社員食堂に行くようにしていますが、8階分(3階⇒11階)テンポよく小走りで上ります。だいたい5階分あたりで息が切れ始めますが、その時の感覚をネガティブに「キツイ、苦しくなってきた、歩くか」と捉えないで、「来た、来た、ここからが本番だ!階段を上る醍醐味だよね」と言葉ではないですが、そんな感覚で捉えるようにしています。
 この「苦しみ」というか「キツさ」と対話できるのも行動や習慣ありきですよね。行動や習慣のようにあれこれ考えずにやってみることがないと「キツさ」を味わうことができません。やる前にあれこれ考えて悩むよりは「キツさ、カモン!」でやっちゃいましょう!

 

 

ぼくたちは習慣で、できている。