ランニング フォーム 改善! 骨盤 肩甲骨 姿勢 習慣 など

ランニングフォームの改善に役立つ教本や関連本を紹介、フォームを進化させて走力を上げましょう!

ランナーにも役立つ教養本:「働く人のためのマインドフルネス」 菱田 哲也/牧野 宗永 共著

マインドフルネスを知って、ランニングとの共通点を実感しよう!

 

 今回は個人的に「マインドフルネス」というキーワードが気になって本書を手にとりました。言葉自体はネットで検索して大まかな意味は把握していたものの、より深い意味や実践法などを知りたいと思っていたからです。
 そして一読してみて思ったのが、ランニングって瞑想と近い精神的効用があるんだ!ということでした。ので今回、直接的にはランニングに関連している本ではありませんが、ここで紹介したいと思います。

 まずマインドフルネスとは何ぞやということですが、本書の扉の開き部分に以下のように定義されています。

マインドフルネスとは、今に集中し、心を整えて、客観的に現実を認識するためのトレーニングである。

 

 これだけでも何かランニングに通ずるものがあると思いませんか?走っている時って雑念が次々と湧き上がっては消えなどはよくあることだと思います。でもそれって脳が疲れてしまって体力を奪ってしまうのでよくないことだといいます。プロランナーが雑誌のインタビューで、フルマラソンの30キロまでは頭は眠った状態で何も考えないようにして体力を少しでも奪われないようにしていると語っていたのを思い出しました。

 

 本書では、このマインドフルネスの実践法(瞑想など)を紹介するというよりは、そのベースとなる仏教的思考方法が紹介されています。最終章の最後の部分で瞑想実践メソッドという項目はありますが、やり方やフォームが特にあるわけではないので、ベースとなる知識がないと、あまり瞑想をやる意味がないのでしょう。

 本書の構成は、各章ごとに対話形式で始まり自然に解説に入っていく感じです。具体的な事象から抽象的な概念へ、という流れです。ので基本的に入っていきやすく読みやすいです。

 

 それでは、気になった部分を抜粋させていただきます。

 

呼吸を意識する ー 代表的な瞑想法

 マインドフルネスのベースとなっている瞑想方法の代表的なものに「呼吸」を意識する方法がありますが、それは「今ここに集中」するための手段なんです。私は修業が足りないので、「今ここにいて気づきなさいよ」という話をしながらも、「今晩何を食べようかな」などといろいろと考えてしまいます。
― 気が散じる、つまり、心の中のおしゃべりに付き合ってしまっているんですね。
 その夕食へと流れた思考を止め、呼吸に集中することで、「今の呼吸」に戻す。たとえば「お腹が膨らんだ」「お腹がへっこんだ」と意識して腹式呼吸をしながら、「今の呼吸」に意識を戻すことが大切なんですよね。
・・・思考が流れることを止めているうちに、集中力も鍛えられますね。また、怒りだけでなく、いろいろな妄想を自分で価値判断する前に今の自分に戻ってくるというのを続けるわけですから、「物事の本質が分かりやすくなる」という効果もあります。

  走っている時に、あれやこれやと雑念が湧き上がってくるのは上記の「心の中のおしゃべり」といえます。そのおしゃべりが始まったら、付き合わずに呼吸や身体の動かし方に意識を戻すことが、集中力を鍛えることになりそうです。ただし、動作に意識を向ける場合、末端部分に意識がいきすぎると力んでしまいフォームが崩れがちなので、なるべくコア部分全体的なフォームに意識を向けるようにすべきだと思います。瞑想的な表現でいえば、幽体離脱した自分が斜め上から走っている自分のフォームをチェックしているような感じでしょうか⁈

 

仏教では、思想であろうが、私たちの肉体であろうが、世界であろうが、すべてのものは刻一刻と関係し合いながら、移ろい変わっていくと考えます。これを仏教用語で「無常」といいます。無常と聞くとネガティブなイメージを想起しがちですが、そうではありません。無常とは、自分の思い込みを排して、自分や世界のあり方を観察したら、すべては移ろい変わっていく性質(無常)のものだったという客観的事実なのです。

 確かに主体である我々の身体は刻一刻と変化しているといえるし、外部の環境も見た目は同じようで厳密にいえば変化しているといえます。市民ランナーとしては、この無常を是非ともポジティブに捉えてみましょう。
 加齢とともに筋力は落ちていくものの、走るたびに身体の使い方やフォームは効率的になってきて自然の力を利用することができるようになってくる、いつも走っているコースも天候も含め常に変化していて、空気を感じ景色を観ることができる、など。
 

 

 報酬の追求に関わっているのがドーパミン神経系で、報酬の可能性があるとドーパミンが放出され、それが期待どおりのレベルの報酬であれば、ドーパミンのレベルは高いまま安定し、ドーパミン神経系は活性化されたままとなり、獲得のための意欲は継続するといわれています。一方、期待したほどの報酬ではないとわかるとドーパミンのレベルは下がり、意欲は失われますが、レベルを回復させるために別の報酬を求めようとします。
 また努力のすえに報酬を獲得した場合には、快楽の化学物質であるエンドルフィンなどが放出され多幸感で満たされ、報酬の獲得に成功した動きなどの記憶が固定されるといわれています。
 この神経系は生きていくには欠かせないものですし、努力して向上するためにも不可欠だといえます。

 

 危険の回避に関わっているのが、不安や恐怖など不快なストレスに反応するノルアドレナリン神経といわれています。外部から危険などの不快を察知するとノルアドレナリンが放出され、交感神経が主要な器官や筋肉に信号を送り、「闘争か、逃亡か」という戦闘準備モードに入ります。同時に視床下部が脳下垂体に働きかけることで、副腎ホルモン(アドレナリンやコルチゾールなど)が分泌され、その結果、心拍数は上がり、瞳孔が開き、気管支は広がり、血液が大きな筋肉群に送られ戦闘モードとなる…。
 ・・・本当の危機が訪れたときに、この神経がなければ生き延びられないため、生存には不可欠ですが、現代社会では困ったことも起こります。・・・このシステムをしょっちゅう起動させることで、肉体的には免疫の低下などいろいろな健康リスクを引き起こす可能性があると指摘されています。

 

 また、脳にはセロトニン神経というものがあり、「元気」という状態をつくりだしているといわれています。セロトニンは筋肉には直接働きかけませんが、セロトニン神経が活性化しているときには、運動神経に命令が伝わりやすくなり、筋肉は動きやすくなります。
 さらに、この神経は、腹筋、背筋、足の筋肉、顔の筋肉などの抗重力筋(立っているときに重力に逆らって姿勢を保つ筋肉)を支配する運動神経と強くつながっているので、セロトニン系が活性していると足腰がしっかりし、顔が引き締まるようになります。そのため、外見的にも元気に見えるようになるわけです。
 加えて、ドーパミン神経系やノルアドレナリン神経系にも働きかけ、いつでもこれらの神経が活性化できる状態をつくると同時に、これらの神経の暴走を抑える役目も果たしているそうです。つまり、セロトニン神経によって、元気だけれでも行きすぎない冷静な心の状態がつくりだされているといえるでしょう。

 

 セロトニン神経を活性化するには、「意識的な」リズム運動が効果的です。だらだら歩いたりジョギングしたりするのではなく、しっかりとリズムを意識してやらないと効果はありません。
 また、呼吸にしっかり意識を向けて行う「瞑想」も、呼吸のリズムが一定となるのでリズム運動の一つといえます。さらには、一定のリズムを刻んでの読経も効果があるといわれています。

  ちょっと抜粋が長くなりましたが、ランナーであれば読んでみて納得できませんか? ランニングが習慣化すると体調はもちろんのこと、精神的にも安定するのはこのセロトニン神経の活性化だったのですね。よって、市民ランナーは瞑想をしなくとも、マインドフルネス的にランニングに臨んでいれば、自己制御力や客観的認識力が上がり精神的な健康も保たれるということになると思います!ランニングがうつ病などの精神疾患の克服に有効だという話も納得できますよね。

 

 怒りとアンガーマネジメント

 たとえば、「十円玉」が執着の対象だとします。それを失くすのが怖くて、私たちはギューッといつも握っている状態なんです。怒りは、私たちが執着して握りしめているものを奪ったり、傷つけようとするものに対する防衛反応といえます。・・・
 読者の方には、十円玉を、自分が執着しているものに置き換えていただきたいと思います。会社のポジションや収入、学歴、配偶者、いろいろなものがあると思います。
 心の緊張を解いてリラックスしたらもっと楽になれることを教えるのが仏教です。失う恐怖でギューッと握りしめている状態が苦しみであり、楽になりたければ、握っている手を開いてリラックスすればいいと教えています。
 多くの人は、手の甲を上に向けて手を開いてしまうと、十円玉が落っこちて、なくなってしまうと考えます。でも、仏教は十円玉を捨てろとは言っていません。仏教は、手の甲を下に向けて手を開いたらいいじゃないかと教えるわけです。そうすれば、十円玉もあるし、手も開いてリラックスできる。執着している対象そのものをどうこうするわけではない、執着の対象はあってもなくてもどっちでもいい。執着している私たちの心のあり方、対象との距離が重要なんだということです。・・・
・・・「今握っちゃったな」と気づいて手を開く、ちょっと経つと今度はまた違うものを握っていて、それに気づいてまた開く、これを繰り返すことが仏教の「瞑想」なんです。

  最後も長く抜粋してしまいました…。走っている時に雑念が湧き上がってあれやこれやと考えてしまうのはしょうがないとして、心の中のおしゃべりが始まったと自覚できたら、上にある通り「今握っちゃったな」と気づいて手をひらくことがポイントなのでしょう。
 何か、やはりランニングフォームに通ずると感じてしまします。効率的なフォームを維持するには、余計な筋肉の緊張をさせてはいけませんよね。「あ、力んでいる」と自覚したら、弛緩させなくては滑らかな動作ができなくなってしまいます。

 なんだか哲学的な話になってきそうですが、マインドフルネスを勉強することってランニングの習慣化や、ひいてはランニングフォーム改善に役立つといえませんか⁉

 

働く人のためのマインドフルネス (PHPビジネス新書)